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防災、防疫、道中安全、夫婦円満、子孫繁栄等八百万の祈願が出来る庶民の神様道祖神。
庶民の神様であるがゆえに道祖神についての残された文献は少なく、実態がよく判っていないようです。
判っていないからこそ、勝手気ままにいろいろ想像出来、それが道祖神探訪の面白さだと思っています。
「道祖」の語源は中国に於ける旅行安全の神の
名前。
右は藤森吉弥作
天保13年(1842年)
松本市島内
◎ 文献より
道祖神とは「一般にサヘノカミと呼ばれ、また道陸神(ドウロクジン)ともいう。
古くは塞(サヤ)大神、乢神、道神、衢神とも記されている。
猿田彦に不会したり、種々の説をなすものがあるが、その名の如く元来は防障、防塞の神であり、
外から襲い来る疫神悪霊などを村境や峠、辻、橋のたもとなどで防障する義であり、
また生者と死者、人間界と幽冥界の境をつかさどる神の意である」
(東京堂出版「民俗学辞典」より)
・そもそもわが国の道祖神信仰はかなり複雑である。
わが国古来の岐神(クナドノカミ)、塞の神(サイノカミ、サエノカミ)や道反大神(チカエシノオオカミ)の信仰に、
中国の旅行の神である道祖神の思想が加わり、さらに石神や性器崇拝の習俗も複合し、
きわめて多岐的な信仰になっている。
すなわち村に邪悪な神が侵入しないよう防護するとともに、道路や旅行の安全を守り、
さらに性器崇拝との習合から、良縁、子授け、安産祈願までひろがっている。
ところが鎌倉時代になって、この道祖神信仰に天孫降臨神話の猿田彦や鈿女命が加わり、
さらに後には庚申信仰とも習合して決して単純に割り切れない複雑な信仰となっている。
(「庚申信仰・道祖神信仰における猿田彦と鈿女」小花波平六)
・サイノカミは道祖神の別名にほかならず、道祖神は猿田彦である。
率川(イサガワ)神社(奈良市)からほど遠からぬ今御門町に道祖神社があり、猿田彦を祀っている。
・・・山の辺の道の奈良の出入り口あたるところから古来、旅人に”道の神”として敬ばれてきた。
・・・・全国の道祖神の”祖神(オヤガミ)”的存在で、道祖神を集落の入口に祀るのは、これにならったものであろう。
(「サルタヒコ考」 飯田道夫より 臨川選書)
・双体道祖神塔の変遷
・1625年頃以前
二尊仏・二地蔵→並立合掌像(性別なし)
・勃興期(1625~1700)
並立合掌像(男女像)出現
人形道祖神出現
・興隆期(1700~1750)
神像(笏を持つー神祇)出現
握手像・肩組み像 出現
祝言像(酒器を持つ)出現
・最盛期(1750~1820)
抱擁像・接吻・交合 出現
祝言像に大ふくべ(徳利)出現
当初「防災・防疫のカミ」であった信仰が、江戸中期の1700年代から突如、信仰を大きく変容、
「性病の治癒や 子宝のカミ」となるとともに、像容も僧形並列像から男女の像にがらりと様相を変え、
性愛の姿態を素直に表現したものや祝言の仲人姿などの多種多様の像容を彫像し、また造立数を急に増している。
つまり性病や産育に関わる、社会情勢に大きな変化が生じたことを意味していた。
(石田哲弥「道祖神信仰史の研究」より)
◎ 日本最古の双体道祖神?
(393)長野県辰野町沢底入村には永正二年と刻まれた道祖神がある。 (地図は辰野町沢底の道祖神に)
西暦では1505年。武田信玄が生まれた1521年の16年前で戦国時代に
突入した時期であり、種々疑問が湧いてくる。
①今から500年前のものとしては文字の彫刻が余りにも鮮明である。
②男神の左手は女神の手を握り、右手は肩を抱いている。 こういう形態は
江戸中期(1700年前後)から現れたものである。(上記石田哲弥「双体道祖神塔
の変遷」参照。
③多くの年号表示には数字の次に干支(えと)が刻まれているがこれにはない。
後年文字を刻んだため干支が判らなかったからではないだろうか。
④戦国時代の幕開けの混迷するときに道祖神を造立する余裕があったのだろうか。
なお、永正年間は日本で初めて梅毒が確認された時期でもある。
これを記録するため、比較的近年に既に造立されていた流行病治癒を願う神様、
双体道祖神にこの年号を刻んだのではなかろうか。
◎ 甲府盆地東部の道祖神
○ 甲州市塩山藤木の道祖神祭り
毎年小正月の始まる1月14日日没に甲州市塩山藤木の法光寺境内にて盛大な道祖神祭りが行われる。
藤木三地区から、それぞれの大太鼓が集まり、どんど焼を囲んだ大太鼓に乗って歌舞伎が演じられる。
これを太鼓乗りと称し、江戸時代から継承されているそうだ。
2016年も午後7時前に太鼓が入場し、地元の人や観光客が多く集まるなかで盛大に催された。
① 祭りのために設置された祭壇
② 朝からどんど焼の置き火造り
③ 太鼓入場の先導役
④ 大太鼓の入場
⑤ 歌舞伎役者の入場
⑥ 大太鼓に乗りこれより開演
⑦ 今年の出し物は「白波五人男」
⑧ どんど焼を囲んで演じる。
⑨ 燃え盛るどんど焼 くべるのは地元ならではの桃や葡萄の剪定枝が多い。
⑩ 暖をとりながら歌舞伎を観る見物客。
(321)山梨市堀内の道祖神
山梨県最古の祠型道祖神と言われている。万治3年(1660年)と刻まれている。
① 祠に丸石(甲府盆地東部の道祖神は丸石が主体)
② 道祖神祭りの頃、この地域の道祖神には杉や桧の葉で「オカリヤ」を造る。
(325)甲州市小屋敷の道祖神。「オカリヤ」の上部の突き出た部分は男根を意味するそうだ。
(319)-1 山梨市北のオカリヤ
(319)-2 (319)内部の丸石道祖神
オカリヤには杉、檜、樅、藁等が用いられ、道祖神の立地により使用材料が違う。
◎ 長岡市旧栃尾地区の道祖神 最寄りの地図は栃尾の道祖神に
(52)長岡市下伝来(旧栃尾市)のほだれ大神に集められた道祖神
道路拡幅や地域開発で行き場を
失った道祖神たちの収容施設?
(50)胞姫様(えなひめ様、だきひめ様) 長岡市半蔵金
(422)熊袋 耳の病気の治癒を祈願あるいは完治の御礼に穴石を奉納
(579)高崎市倉淵町権田熊久保
寛永二年の銘(1625年)
銘が判明するものの中では
群馬県最古の双体道祖神
(146) 落合の道祖神 倉渕町落合
村の入り口にいきなり
浮世絵を想わせる像
(162) 長井の道祖神 倉渕町権田長井
草津の湯に通じる街道筋の道祖神が集められた。 左はおこそ頭巾を冠っている一体。
(168)下諏訪神社の道祖神 倉渕町岩永
天明8年(1785年)の銘
天明3年の浅間大噴火をはさんだ
数年の大飢饉を克服した御礼と
将来の希望を込めて建立。
彫りが明確で気品ある逸品
(169) 猪毛の道祖神 倉渕町元三沢
こんな山中に伊豆・三河型の道祖神が。 由来は立札に。
◎ 甲信国境の道祖神(長野県富士見町、山梨県北杜市)
この地域は祠型道祖神が主流。祠の内には双体、丸石等いろいろあるが、
空室のものも多い。
(21) 富士見町御射山
(182) 富士見町乙事
(248) 北杜市須玉町上津金
(409) 北杜市小淵沢町宮久保(大神社)
祠の中を覗くと
◎ 真鶴町(神奈川県)の丸彫り道祖神(賽の神)
伊豆半島を中心とした一帯では丸彫り道祖神が主流。
伊豆型、三河型、東海型などと呼ばれている。
「単体道祖神地区では古代的に「さいのかみ」と称し、また「子供の神様」とも呼んで、地蔵につながった信仰が
尾を引いている。ことに相州に近い熱海、伊東あたりで「道仏」と呼んだりして、これに赤い頭巾や涎かけを着せ、
線香を立て樒を供えて混交色を強く残しているが、箱根山系を西に越えた田方、伊豆内陸部では神祇型に始まり、
あるいは地蔵型から神祇型に移行した形跡をありありと見ることができる」(小山益次・駿豆道祖神考)
(139) 真鶴町真鶴 (141) 真鶴町岩
(143) 真鶴町岩 祈願のなかに大漁とあるのが地域特性
◎ 鳥取県大山山麓の道祖神
鳥取県大山山麓の地区には多くの道祖神が残っている。
この地域には他地域ではあまり見られない線刻の双体道祖神が多く存在している。
残念ながら摩耗の進んだものが多いが、またなぜこの地域に隔離分布したように道祖神が
存在し、なぜ線刻のものが多いのだろうか。 #鳥取県の道祖神
◎ ちょっと変わった道祖神
(47) 町田市成瀬7丁目 鴉天狗道祖神 行者講と組んで制作費用捻出
(221) 相模原市緑区青山 文字に注目
(226) 都留市桂町夏狩
(246) JR飯山線戸狩野沢温泉駅 丸太の観光用
(40) 北杜市長坂町渋沢 顔が太陽と月あるいは満月と三日月
庚申信仰の影響それとも単なる剥落?
(148) 高崎市倉渕町鍛冶屋 「みみだれ神様」 自然石
耳の病を患う人が治癒するよう願をかけた。
これも道祖神の一形態
(372) 大井町下山田 「猿田彦道祖神」 石の形が猿または天狗に似ているから?
(148)の「みみだれ神様」と形がよく似ている。
◎大きさ日本一を競う観光用道祖神
(160)高崎市倉渕町三ノ倉(道祖神公園)
(446)佐久市牧布施(旧中仙道望月宿入口)
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